新撰組の斎藤一って大正まで生きてたのに確実な写真が一つも残されてないって謎すぎる
日本の武士(新選組隊士)、警察官。階級は警部。勲等は勲七等青色桐葉章。長男勉をもとに描かれた肖像画
幕末期に新選組で副長助勤、三番隊組長、撃剣師範を務める。一時期御陵衛士に入隊。戊辰戦争では旧幕府軍に従い新政府軍と戦う。明治維新後警視庁の警察官となり、西南戦争では警視隊に所属して西郷隆盛軍と戦う。退職後東京高等師範学校の守衛、東京女子高等師範学校の庶務掛兼会計掛を務める。出自、経歴は不明な点も多い。
斎藤一を撮影したとされる写真の存在が、2016年(平成28年)に明らかになった[22]。1897年(明治30年)に妻の時尾および息子二人と撮影した家族写真で、関係者宅の蔵を整理した時に見つかったものである[22]。斎藤を生前よく知る者は「ふさふさとした眉、目つき鋭く、炯々とした背の高い男」と評している。他に次男の結婚式に参列する晩年(死の2年前)の斎藤一の姿が写っている写真も存在している。こちらは鮮明さを欠き、表情は読み取れない。