1: それでも動く名無し 2023/05/04(木) 02:51:55.17 ID:z5V+3T2W0
【朝鮮出兵にて戦死した武将】
「日本(一万石以上)」
来島通総(1万4千石)の1名のみ
※中川秀政は鷹狩中に敵に遭遇し戦死
「朝鮮(三品以上)」
鄭撥、尹興信、宋象賢、洪允寛、李宗張、申石吉、元豪、元喜、柳崇仁、徐礼元、鄭湛、高敬命、趙憲、鄭運、金時敏、沈岱、金千鎰、崔慶会、黄進、元均、李億祺、李福男、任鉉、崔湖、呉応鼎、黄世得、郭越、李舜臣、李英男、金澥、李薦、裵蘿立、李渾、金貴栄、李瑛、黃赫等、李範、李錘、文夢軒
「明(遊撃以上)」
載朝弁、史儒、廬継忠、李新芳、蒋表、毛承先、楊万金、李寧(副総兵) 、李寧(参将)、廬徳功、鄧子龍
「日本(一万石以上)」
来島通総(1万4千石)の1名のみ
※中川秀政は鷹狩中に敵に遭遇し戦死
「朝鮮(三品以上)」
鄭撥、尹興信、宋象賢、洪允寛、李宗張、申石吉、元豪、元喜、柳崇仁、徐礼元、鄭湛、高敬命、趙憲、鄭運、金時敏、沈岱、金千鎰、崔慶会、黄進、元均、李億祺、李福男、任鉉、崔湖、呉応鼎、黄世得、郭越、李舜臣、李英男、金澥、李薦、裵蘿立、李渾、金貴栄、李瑛、黃赫等、李範、李錘、文夢軒
「明(遊撃以上)」
載朝弁、史儒、廬継忠、李新芳、蒋表、毛承先、楊万金、李寧(副総兵) 、李寧(参将)、廬徳功、鄧子龍
文禄・慶長の役
文禄・慶長の役(ぶんろく・けいちょうのえき)は、天正20年/万暦20年/宣祖25年(1592年)に始まって翌文禄2年(1593年)に休戦した文禄の役と、慶長2年(1597年)の講和交渉決裂によって再開されて慶長3年/万暦26年/宣祖31年(1598年)の太閤豊臣秀吉の死をもって日本軍の撤退で終結した慶長の役とを、合わせた戦役の総称である(他の名称については後節を参照)。
全兵船の3分の1以上を動員して、対馬を侵略した朝鮮による応永の外寇以来の朝鮮半島国家との戦争であった。
日本の天下統一を果たした天下人・豊臣秀吉は大明帝国の征服を目指し、配下の西国の諸大名を糾合して遠征軍を立ち上げた。秀吉は(明の)冊封国である朝鮮に服属を強要したが拒まれたため、この遠征軍をまず朝鮮に差し向けた。
小西行長や加藤清正らの侵攻で混乱した首都・漢城を放棄した朝鮮国王宣祖は、明の援軍を仰いで連合軍でこれに抵抗しようとした。
明は戦闘が遼東半島まで及ばぬよう日本軍を阻むために出兵を決断した。以後、戦線は膠着した。休戦と交渉を挟んで、朝鮮半島を舞台に戦われたこの国際戦争は、16世紀における世界最大規模の戦争であった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/文禄・慶長の役
文禄・慶長の役(ぶんろく・けいちょうのえき)は、天正20年/万暦20年/宣祖25年(1592年)に始まって翌文禄2年(1593年)に休戦した文禄の役と、慶長2年(1597年)の講和交渉決裂によって再開されて慶長3年/万暦26年/宣祖31年(1598年)の太閤豊臣秀吉の死をもって日本軍の撤退で終結した慶長の役とを、合わせた戦役の総称である(他の名称については後節を参照)。
全兵船の3分の1以上を動員して、対馬を侵略した朝鮮による応永の外寇以来の朝鮮半島国家との戦争であった。
日本の天下統一を果たした天下人・豊臣秀吉は大明帝国の征服を目指し、配下の西国の諸大名を糾合して遠征軍を立ち上げた。秀吉は(明の)冊封国である朝鮮に服属を強要したが拒まれたため、この遠征軍をまず朝鮮に差し向けた。
小西行長や加藤清正らの侵攻で混乱した首都・漢城を放棄した朝鮮国王宣祖は、明の援軍を仰いで連合軍でこれに抵抗しようとした。
明は戦闘が遼東半島まで及ばぬよう日本軍を阻むために出兵を決断した。以後、戦線は膠着した。休戦と交渉を挟んで、朝鮮半島を舞台に戦われたこの国際戦争は、16世紀における世界最大規模の戦争であった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/文禄・慶長の役
2: それでも動く名無し 2023/05/04(木) 02:52:35.55 ID:z5V+3T2W0
日本強すぎん?
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